オタク的素養が憧れの商品をつくり価値を生み出すのかな!?

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クリスマスも終って昨日から門松があちこちで見られるようになり、本日12月27日で仕事終わりという方々もおられるのではないでしょうか。今年も1年あっと言う間だったなぁと、毎年つぶやいて新年を迎えます…。ウチに帰ってテレビをつけると特番ばかりでこれから正月3日まではこんな調子なんでその間見たいと思う番組があまりない。

ということで録画してあった『勇者ヨシヒコと悪霊の鍵』最終回を見ることに。どんな番組かはこちらから
ヨシヒコヨシヒコと自分が呼ばれているみたいで気になるのだけど、まぁバカバカしさこの上なく見入ってしまうわけdeath。

で、こういうのを好んで見てしまう自分というのはどんな部類に属する人間なのか、と改めて考えてみるとやはりオタク系なのだろうか!?オタクに対してヤンキーという種族がおります。この両方に属さないのがフツーの人ってことになるのかもしれませんが、誰にだって何かに拘るってことあるわけで、その拘り度が深いとオタクという捉え方をされてしまうんでしょうか…。

んぢゃコレクターと呼ばれる人はどーなんだ?と。コレクターの場合は単なる引きこもりオタクよりちょっとレベルが高い感じがいたします。(←すごい偏見w)世界的なコレクターと称されている方のお話を聞いたり読んだりして思ったのは、そこにはちゃんと社会性がある。ってちょっとざっくりし過ぎで説明になってませんが、コソコソ気になったものをただ集めてるんぢゃなくって、なぜそれをコレクションすべきか理由があるわけです。そのモノが持つ価値を理解する知性というか知識がこれまたハンパないわけです。単にきれい、かわいい、カッコイイだけで集めてるわけではないっちゅうことです。話を聞いていてへーとかほーとか楽しくて引き込まれます。総じてあることに対する深い話を聞くのは好きな方ですが、変なオタク(←これもすごい偏見w)だと中には話し始めると果てしないニッチすぎる話が延々と続いてただ疲れるというのもいますが、これは単に自分がその分野に対して知識ゼロだからということなんだろう…。ということにしておく。

例えば艦船、戦艦大和とか旗艦三笠とかの完成モデルが商品として100万円で売ってるとして、価値が分からなければなんで100万もするのか、ただ不思議でしょうがない。挙げ句これに100万円も払って買うヤツはどーかしてんぢゃねーかくらいのことを思ったりするわけです。別にこの完成モデルに関心がなくても大和、三笠と聞くと前者は第二次世界大戦で日本が総力をあげて作り上げた不沈艦だったけど沈んじゃったね。とか、後者なら日露戦争で東郷平八郎の指揮のもと勝利に導いたあれ。くらいは思い浮かびます。
↓これ戦艦大和のモデル。実物見たけど迫力すごい作り。
戦艦大和
たぶんその程度のことからもっと深い歴史的背景を知って、艦船としての技術的な機能面やら設計に関して突き詰められた当時のハイテクの粋の結晶だぜよ〜。と語り始めてしまうくらい、その人のどこまでも深く突き詰めた知識、知性、感性に応えうる出来の商品であれば、この価格が妥当ということになるんでしょう。ヒット商品ってやっぱり広くアンケート取って最大公約数的にまとめて作ってもダメなんでしょうなぁ。おぉ!ここまで拘ったんだなーと、自分ではそこまで気がつかなかったぞ!というところまで掘り下げられてたら、尊敬と憧れの念が湧いてその値段を納得させてしまうということかなぁ。

ただ真っ黒いだけの絵がなんで数千万円するのかとか、ふかひれスープが1万円など、ぱっと見ではその価格に見合った価値がなかなかわからないオノレの価値判断基準はどーなってんねんと罪悪感すら憶えそうだ。まぁ、本来の価値を理解するには相当勉強しないといけないってことですかね。だとするとお金もそこそこかかるよなー。

ま、チト、オタクを蔑んだような書き方になってしまったかもしれないけどモノの価値、値段ってこうやって決まっていくのかなぁと思ったわけです。値段に関しては市場での多寡にも左右されると思いますが、上記の艦船モデルの例から見え隠れするモノの価値とか値段とかはオタク的素養から導かれたものと思います。アニメだってOne Peaceみたいな壮大なストーリーって会議室でブレストしながら1話づつ作ってるわけではないでしょう。商品として方向が間違ってたらダメだけど、個人の想いがまず強いものが残って行くもんなのかなぁと。

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