149年前の1月3日に起きた『鳥羽伏見の戦い』の跡地を2017年1月3日に巡ってみた

毎年正月1日3日にかけて、親父殿と母上様が暮らしている関西へ謁見後、最終日は京都に立ち寄ってから江戸に戻るというのがパターンになっていまして、2017年はかねがね気になっていた鳥羽伏見の戦いの場に行って来た。

鳥羽伏見戦場跡

タイトルでわざわざ149年前とした通り、来年は明治維新後150年ということで、大河ドラマも西郷隆盛主演のものになるようだけど、京都という観光名所においてこの鳥羽・伏見という地域は京都らしい観光名所ではないんだよねぇ。

伏見と言えば、むしろ豊臣秀吉が天下取ってから後、建設した伏見城で、最後そこでお亡くなりになった城があった場所として知られているかもしれない。

伏見ってこの辺り。梅田駅から御堂筋線で一駅乗って京阪乗り換えで中書島駅(ちゅうしょじまえき)下車。

伏見マップ

地図にある通り、秀吉が作った運河があるので、そこへ行ってみるとなんだか風情のある状態で残っていました。

宇治川派流域運河

宇治川派流域運河

歴史的にはこういうところ。

宇治川派流域の歴史

このあたりは酒蔵も多く、月桂冠の酒蔵ってここだったんだと。

月桂冠酒蔵

で、この運河に沿って歩いて行くと、寺田屋事件の寺田屋にも遭遇。事件は2つあって、ひとつは薩摩藩の事件が1862年。それと坂本龍馬が襲われた1866年の事件ですね。

お龍さんが風呂入ってるときに伏見奉行所のやつらが取り囲んだことを龍馬に知らせて…あたりの場面は幕末の時代劇でよくある場面で、寺田屋事件って言えばこっちの方が有名かも。

寺田屋01

寺田屋02

伏見寺田屋殉難九烈士之碑

この三が日はお休みということですが、普段平日は見学できるようです。

で、その後の鳥羽伏見の戦いとは…ですが、

鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい、明治元年/慶応4年1月3日 – 6日(1868年1月27日 – 30日))は、戊辰戦争の緒戦となった戦いである。戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)で行われた。

なんかあっさりした解説ですが、この戦いで新政府軍約5,000の兵がその約3倍の15,000の旧幕府軍に圧勝し、その後幕府側に組みしていた会津藩まで攻めて行き、新政府樹立となった一連の戊辰戦争の発端の地ということですね。

このあたり、語り出すと長いので(笑)、次。

で、鳥羽伏見の戦いから話ズレるけど、この運河のありようが素晴らしい! 運河マニアとしては、こうした親水性を考えた作りには拍手を送りたい!

運河01

運河02

運河03

運河04

何かと安全性重視で柵を巡らし「行政としてやることはやってっかんなぁ! 事故があってもやることはやってんかんな!」的な言い訳があまり感じられない作りなのだよ。

で、話戻りまして、やはりこのあたりは坂本龍馬がどうしたこうした的な史跡が多い。鳥羽伏見の戦いというキーワードより坂本龍馬の方が上な感じ(笑)だいたい以下の地図のアカカコミのあたりを巡りました。

伏見界隈

寺田屋で襲われた龍馬が三吉慎蔵に助けてもらって運び込まれたあたり。

坂本龍馬、避難の材木小屋跡

坂本龍馬、避難の材木小屋跡解説

龍馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に、幕府伏見奉行の捕り方30人ほどに囲まれ、いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせた。

捕り方は「肥後守(奉行)よりの上意」であるとして迫り、踏み込まれた龍馬らは「(奉行の権限の及ばない)薩摩藩士である」との嘘を主張したが、簡単に見破られた。龍馬は高杉晋作からもらった拳銃[9]で、三吉は手槍を用いて防戦して、捕り方2名を射殺、数名を殺傷させた。しかし捕り方が拳銃を持つ手を刀で払おうとして、龍馬は手の親指(左右)を負傷。

装弾ができなくなったと言うので、三吉が必死に槍で応戦する間に、辛くも家屋を脱出して路地を走り、材木屋に隠れた。三吉は切腹しようとしたが龍馬に止められて、伏見薩摩藩邸に救援を求めに行くように依頼された。薩摩藩邸にいた留守居役大山彦八は藩士3名をつれて川船を出して救出に向かい、龍馬は九死に一生を得ることができた。

すぐに京都の西郷隆盛のもとに報告が行き、吉井幸輔が早馬で伏見に来て事情を調べ、西郷は軍医を派遣して治療に当たらせると共に藩邸で警護させた。

という、お龍さんが必死に駆けつけた薩摩藩邸跡

薩摩藩邸跡

その後、歩いて京都 魚三楼へ。食べログ的にはこんなとこ。
幕府軍のメシ担当してたとか。店先に弾痕の跡があった。

魚三楼弾痕跡

魚三楼弾痕跡解説

途中、たこ焼きで腹ごしらえ。生のネギをこうして上に乗せて食べるのって京都だなぁ。これは旨かった!

京都のたこ焼き

そして御香宮神社。幕府軍伏見奉行に対して薩摩の本営地。

御香宮

御香宮解説

その後、今では団地跡にひっそりとある伏見奉行所跡地へ。

伏見奉行所跡

途中、雨が降ったりやんだり虹が出たりでしたが、ここからタクシーで最初の画像の鳥羽伏見の戦い勃発の地へ。

鳥羽伏見の戦い勃発の地

鳥羽伏見の戦いに関しての史跡って、こうして地味にポツンと小さな石碑!? があるだけ。やはり戦火に見舞われた地域って、京都駅より北側の神社仏閣で賑わうような観光地にはなれないもんだなと。でも城南宮というのがあって、ここはお庭もきれいでした。

城南宮

城南宮解説

城南宮02

城南宮03

城南宮04

城南宮05

てな感じで、一通り見て来ました。

自分が51歳であることを思うと、その3倍の時間分しか経ってないのか…と訳の分からんこと思ったりしました。