メディアを通じてしか、楽しんでいないことがあることについて。例えばロック。

ふと思って、こんな書き込みをした。

中学時代に衝撃を受けて、ハマって、少ない小遣い貯めてレコード買って…以来、折につけ思い出してCDなり、当時買ったアナログ盤で聴いたりしていて、それがずっと続いている。今はYouTubeもあるから、当時見たくても見れなかった映像も見ることが出来て、それぞれのロックを楽しむことが出来ています。

で、思ったわけです。60年代70年代に登場して活躍していたロックバンドって、結局自分の経験としてはメディアを通じてしか体験出来ていないんだなぁと。生でライブ体験していない、実物を見たことがない…のに自分の中では実在しているというか。

ビートルズなんか日本に来た時が自分の生まれた年の翌年(1966年)で解散が1970年なんだから、ライブに行けるチャンスが現実的になかった。と、そんな関係性のバンドがいくつもあって、生で見たことがないのにずっとファンでいて、飽きずに未だに聴き続けている。

『安室奈美恵、引退』が世間を賑わせていましたが、引退発表そのものは結構前でしたね。それでついにその日が来て、そのことがニュースになっていました(います)。

って特別、安室ファンだったわけではないのですが、日本の音楽シーンでの活躍はある程度知ってるつもり。自分はそういうシーンには特にハマることなく、相変わらず古いブリティッシュ・ロックがメインで音楽を聴いて来てるわけですが、同時代のアーティストのファンになり、それはずっと存在し続けるものと思っていたら、ある時引退する、居なくなると宣言されたら、そりゃ悲しいもんだろう。

90年代は日本の音楽シーンも多様性を持ち始めて、どっちかというとマイナーな存在だったシーンが『渋谷系』といったキーワードでブームになったり、歌謡曲(アイドルが歌う曲w)と思っていた分野がBeingというレコード、マネジメント会社が出て来てWANDSとか大黒摩季といったアーティストを送り出しブームを作った。その後、小室とかつんくといったロックバンドのメンバーがプロデューサーとなって歌謡曲!? の質をあげて新たなシーンを作って行った時代だったと思っています。

個人的に日本のミュージシャンでファンなのは、YMOとその周辺であったり、当時海外進出を目指してがんばっていたバンド、サディスティック・ミカ・バンド、バウワウ、クリエイション、ゴダイゴだったりするのだけど、まぁどれも今もあるっちゃある状態。YMOは解散ではなく散解宣言だったし、他のバンドも一旦解散したり、活動休止したりしたけど、また始動しているのでそんなに遠い存在って気がしない。

例えばフレディ・マーキュリーって、当時その死を仕事中にかかっていたラジオで知ったのだけど、この世にはもういないと思ってないフシがある。そんな感覚なのは、実際にライブに駆けつけて生で見ておらず、あくまでメディアを通じてしかその存在を認識して来ていないからなのだろう。

クイーンのニューアルバムが出ていないということを考えた時に、あ〜ボーカルのフレディ・マーキュリーが死んでしまったからなぁ。となんとなく現実的に思ってみるということのようだ。

アーティストが作品を残そうとするのは、それがいつまでも人の意識に居続けることができるからなのだろう。

『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』の両方をやってるということかな。