デザインと仕組みとプラットフォームと…

『にっぱち』と言いまして、世の中あまり仕事が回らない月みたいなことが言われていますが、その2月も今週金曜日でお終い。寒い月は早く終ってほしい…。桜の季節が待ち遠しいですなぁ。
桜イメージ
↑自分で撮影したわけではない。借り物です。

2、3月は割と年度末突貫工事的仕事があるのだけど、既存の部分にどうしてもこれ入れたい、無理矢理追加御免的な要望も出て来たりします。伝えなきゃいけないコトなので、取って付けたように見えないようなんとか馴染む工夫をと思いながら作業します。

ホトンド他業種の仕事の経験がないのだけど、いろんな現場でそういう要望が都度出ては、誰かがうまく解決することでこの世は成り立っているのかもしれない…。

でもホントはそんな要望が出そうなこともあらかじめ予測して全体の構成を考えて作っておくというのが、あるべき姿なんだろうなぁ。単なるカタチだけでなく将来の拡張性を見据えつつUIとかUXを練っていく…とか。

かつてデザインに関してお師匠さんが「3年持つデザイン」ということを言ってたのだけど、10数年前の言葉だから今ぢゃ何年持つデザインと言えばいいのやら、そのくらいモノの寿命が短くなった。

グラフィックで言えば、そのときに流行のタイポグラフィーをメインにデザイン組んだりすると、それ2,3年後に見るとものすごーく古臭く見えてしまう。別にタイポだけでなく、Macでデザインするようになったころ、明らかにこれMacで作りました的なデザイン見ると、最初はちょっといいなと思っても、いかにも“あれ”で作りました感いっぱいのデザインは、見るのも恥ずかしいくらいの出来映え(笑)2年くらい前にブレイクしたギャグを今堂々とやる寒さみたいなもんに近いかな!?

後で見て古く感じない作りにするには、例えば英文フォント使うならHelveticaやFutura、Timesといった保守本流王道のもの使って、レイアウトも基本に忠実なカタチにしておけばまずよろし(笑)なんだけど、そんなことだけしてて仕事として成り立つわけがない。お手軽にそういう風に見えるように小手先の手間で済まそうとするからもうダメなわけで。そもそも後で見て古く感じさせない必要って、何のときよ!?と自虐的自問したりとか…。

モノの寿命が短くなったから、それにまつわるパッケージや宣伝広告のあり方も、営業サイドの今すぐに売れなきゃいけないとか、すぐに効果が現れないとダメ的な手法に傾いて行く。ぢゃ〜モノの寿命が短くなったのはなぜか。結局誰かが見い出した“良いモノ”を真似してすぐにそのコピーで世の中溢れてしまうからなのかなぁと思ったりする。価格競争に陥ってしまう多くのモノってそういうモノのような気がするんだよなぁ。で、悲しいことにそういうモノに関わってる仕事っていうのは、時間も予算もクリエイティビティにも欠ける。

振り返れば30代のときってそういう仕事が明らかに多かった。いっぱい作っていっぱい回してた感じ。本、雑誌、音楽CD、ゲームetc。30代ってそういうのを任される。

今、デジタルアプリとしてゲームが稼げる分野のようなんだけど、パズドラみたいになるのを夢見たゲームってこっちが知らないだけで、ものすごい数リリースされたんだろうなと思う。囲碁、将棋といったそれで食って行くプロの世界が出来るくらいの終わりのない、極めるのが困難な深い世界を持ったルールやプラットフォームを作ること。これ並大抵なことぢゃないけど、アタマひとつ抜きん出て、回して行ける仕組みを作ったもん勝ちということなんだろうな。そういうのを掴んだときの感覚って、どんなんだろう。

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